コロナ禍と西岸の併合

 

1、歴史的な段階

 オスロ合意で、西岸にパレスチナ自治政府が暫定政府として作られ、パレスチナ人が自ら政府をまがりなりにも持て、将来のパレスチナ国家への過渡として位置づけられた。しかし、このオスロ合意は、あくまで、パレスチナイスラエルの個別交渉によるものであり、もともとパレスチナアラブ諸国がもとめていた全面的な和平交渉から外れるものです。もともとイスラエルと米国がもとめていたものです。

  当時のパレスチナをめぐる世界情勢は、イスラエルレバノン侵攻とPLOの追放に始まる。世界的な反帝勢力の後退局面に入り、ついには、ゴルバチョフによるソ連の解体、東欧社会主義の崩壊とつづき、パレスチナは自らの後退だけでなく、その後ろ盾をうしなうことになりました。

 ディアスポラパレスチナ人を基盤とした、武装闘争によるパレスチナ解放の道は閉ざされました。そうした中で、被占領地のパレスチナ人が立ち上がりました。第一次インティファーダです。在外の闘いから被占領地人民の闘いに自ら立ち上がりました。そして、被占領地内に統一指導部が、形成され、被占領地全体の闘争が統一された。石礫の闘いは、世界中に共感を生むことになった。

 

 

 PLOは、ソ連という後ろ盾うしない、米国の仲介に依存せざるを得なくなり、被占領地の闘いの成果を交渉へと結びつけようとした。

 1990年8月イラククウェート侵攻に始まる湾岸戦争が勃発、PLOは、イラクを支持したことで、アラブでも孤立することになった。それが、マドリッドでの中東和平会議開催へ至り、これが、PLOイスラエルとの直接交渉に導いた。

 PLOインティファーダの力で、切り開いていくことではなく、イスラエルと米国との個別交渉に入っていった。当然、はじめからパレスチナは不利な立場におかれることになった。イスラエルが期待していたのは、パレスチナ暫定政府によるパレスチナ人の戦いの抑圧であり、イスラエルパレスチナの治安共同がその要にあった。パレスチナ独立国家は、具体的には展望されていなかった。

 暫定政府は、期待通りに、パレスチナ人の戦いを抑圧し、それが、パレスチナの分断をつくりだしてきた。何度も交渉が行われたが、暫定期間の5年を過ぎても、パレスチナ独立国家への道筋は見えず、イスラエルが右翼リクード政権となり、西岸の入植地の拡大と、実質的な併合が進められることで、オスロ合意は、実質的に破綻をした。

 米国がトランプ政権になることで、これまでの仲介者的な立場を捨てて、明確にイスラエル寄りの立場をとり、リクードネタニヤフの西岸併合にゴーサインを出した。

 こうした状況で、自治政府ですらイスラエルとの共同を一切やめると宣言せざるを得なかった。

 

  • コロナ禍

 イスラエルは、一旦、5月23日に5人まで感染者が減り、抑え込みに成功したかにみえたが、7月15日には1800人以上の感染者が確認され、強力な第二波にさらされている。パレスチナは、もともと封鎖されていることで、4月から7月まで一桁、二桁台にとどまっていたが、7月9日に、561人に一挙に拡大した。イスラエルは、西岸のパレスチナ人労働者が、イスラエルに入ることを禁止し封鎖したが、 イスラエルは5月3日に、イスラエルでのコロナが収まってきたとして、パレスチナ人労働者が、イスラエルに入国することを許可した。その結果が表れていると思われます。

 イスラエルでは、2月21日に最初のコロナ感染者が確認され、5月半ばにかけてピークに達した。パレスチナは、遅れて3月5日に最初の感染者がベツレヘムで確認されました。パレスチナは、イスラエルによって、封鎖され、パレスチナ内でも、自治政府がロックダウンを行った。イスラエルは、西岸の入植者のイスラエルへの出入りは止めなかった。その間に、イスラエルでの感染の爆発的な増大とパレスチナでの感染者の増加は少なかった。

 

  • 西岸の併合

 1月28日にトランプが発表した「世紀の取引」の中身を受けて、ネタニヤフは5月17日に7月1日に、西岸地区の30%を併合することを発表した。この背景には、3月2日の3回目のイスラエル総選挙で。リクードが勝利したにも関わらず、過半数に至らず、ガンツの青と白の党との連立交渉が難航し、首相輪番制で、連立となったが、対立は続き、リクードの人気取りにとどまり、ガンズも、米国も7月1日の西岸の併合を認めなかった。 

 国際世論も、この国際法違反の行為を認めなかった。同時に、イスラエルには、第一波よりも強烈な第二波のコロナが襲い、西岸併合どころではなくなっている。しかし、西岸では、入植者とイスラエル軍による実質的な併合への布石として、パレスチナ人とその土地への攻撃が行われている。

 ここにきて、イスラエルとの一切の共同を停止し、交渉を行わないという立場を公言していた自治政府は、西岸の併合を阻止できるなら、イスラエルとの交渉に臨んでもいいといいただした。アメリカがネタニヤフの西岸併合にゴーサインを出さなかったのは、イスラエル寄りの「世紀の取引」に形だけでも、パレスチナが加わることで、和平交渉の体裁をつけたかったためであり、この策謀にのることになる。

 すでに、パレスチナ諸党派から、この動きを批判する声が高まり、パレスチナ人民自身の抵抗闘争にしか、パレスチナの解放の道がないことを確認した民族評議会の決定に立ち戻るように呼び掛けた。

 オスロ合意の否定の上での民族統一の復活は、これでまた遠のくことになった。

 

  • 経済的な困難

 コロナ禍で、世界中が経済的な困難に陥り、世界中が社会経済活動の復活を目指して、ロックダウンを解除したが、各国に第二波のコロナが襲うことになった。第一波で、西岸全体が封鎖され、パレスチナ人の14万人の労働者がイスラエルで労働できず、また、自治政府パレスチナ諸都市のロックダウンを行い、厳しい外出禁止がだされ、経済的に疲弊することになった。

 パレスチナの経済は、イスラエルに支配されており、イスラエルの経済的な悪化は、パレスチナを直撃することになる。パレスチナ人14万人の移民労働者だけでなく、パレスチナの市場はイスラエルの産品であふれている。パレスチナの貿易の80%は、イスラエルとである。そこには、パレスチナの経済主権が存在していない。食料主権の根幹である農産品もイスラエル産に支配されている現状にあり、

 UAWCなどの農業NGOは、コロナ禍の中で、外に出られない住民に、野菜の苗を配布し、家庭菜園をつくり、食料の自給を奨励している。

 

  • コロナ禍の世界は激変するのか?

 コロナ禍は、世界を激変させる予兆をともなっている。グローバリズム謳歌していた世界は、米中の覇権をめぐる対立が激化し、各国がコロナ禍の中で自国第一に陥り、経済の悪化と合わせて、30年代の世界恐慌を思わせる状況となってきた。

 中東においても、米国、中国の覇権争いがあり、それが、対イランでのサウジ、アラブ反動とイスラエルとの共同を生み出し、パレスチナに対しても、ハマスなどのイランとの共同する勢力に対する米国、イスラエル、アラブ反動の攻撃があり、自治政府にどちらにつくのかを迫っている。昨年行われた経済問題での中東和平会議では、援助を餌に自治政府を取り込もうとしたが、拒否され、一方的なイスラエルへのパレスチナの属国化にすぎない和平を示した。

 自治政府は、それを拒否して参加をせず、イスラエル、米国との交渉を拒否し、さらには、イスラエルとの治安共同を含む関係を切ると宣言するに至っている。しかし、自治政府イスラエル、米国への依存は、深く、実行するかどうかが疑問視されていたが、パレスチナ諸派は、ハマスを含めて歓迎した。しかし、ネタニヤフが西岸の併合を実施するという脅しの前に、西岸の併合が阻止できるなら交渉してもよいというたちばとなった。

 それは、コロナ禍で、イスラエルの経済不安が、イスラエル国民の反発を生み出していることと、パレスチナ自身が援助に依存する経済となっているので、交渉する立場を示すことで、経済を立て直したいということなのだろう。

 しかし、それは、再び民族内の対立を生むことなる。西岸の併合は、イスラエルが恐れている第3次インティファーダの道を開くことになるかが、パレスチナ民族自決を実現できるかのかなめになる。

 

 

 

資料{世紀の取引}2020年1月28日

 今次提案は、安保理決議242号をイスラエル側の要求や現状を加味、修正し、1995年のオスロ合意Ⅱ(暫定自治拡大合意)を補完した包括的な合意として位置づけられている。その要旨は以下の通りである。

 

 

 

 

 

 

 

、「世紀の取引」でのパレスチナイスラエル

 

 

 

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3、2020年6月の西岸の農民に対するイスラエルによる侵害(UAWCの報告)

(1ドノム=1000平方メートル)

侵害のタイプ

損失

回数

①放火  

55ドノムが燃やされた   

4

穀物の破壊と没収 

40スタックの小麦草と3トンの飼料 

2

③農地を更地に

1080ドノム     

5

④木の伐採  

116本                

2

⑤土地の没収 

 50ドノム             

2

⑥農業建築物、インフラの解体・破壊  

22建築物、水道管、テント家畜小屋など

22

⑦C地域のパレスチナ農民の居住地区への襲撃

 25地域と農業地域 

25

パレスチナ農民への命令、

40の農民が所有する150ドノムへの11回命令 

11

⑨ C地域での軍事演習  

C地域での北部ヨルダン渓谷での軍事訓練の間、6か所の200ドノムを更地に

4

⓾15キロメートルに250ドノムを更地に

拡大した入植地への道路の建設 

4

合計

 

81

 

エルサレムユダヤ化、大義の凋落と政治的欺瞞と諸利益の犠牲者

2020年1月25日投稿 モハメッド・ジャベール・アル-リーファイ(PFLPのサイトより)

複数の政治的、経済的、社会的諸利益が注目を引き、それが世界の諸国間の緊張の温床となっている。、これが、公正な諸問題が、これらの諸利益が達成されることがない限り、注目を得ることがなくなっている理由である。したがって、人種差別問題、積極的中立、非同盟などの問題が、国際政治での地位を失っている。これらの問題は、国際的非難とアラブとイスラム世界への非難をつくることを目的としてCIAによって作り出された国際テロリズムの問題に置き換えられた。

 アラブレベルでは、67年6月戦争の敗北後政治的相違を凍結する必要性によってアラブの政治思想を進めるものとして、登場したアラブの連帯の問題である。それは、エジプトのナセリズムに率いられた民族主義政権とよばれるものと、サウジ政権を代表とする反動国家との間の相違を埋めるものであった。政治的、安全保障的混沌に関する連帯の政治的枠組みにおいて、現在統一的で公式なアラブの政治的立場はない。混沌は、この地域のいくつかの国で起こり、政治体制とアラブ、地域、国際的列強に支持された政治権力をめぐる反対諸勢力との紛争を示すものである。その例はシリア危機である。これらはアラブ民族の未来にとって最も危険であり、イスラエルとの政治的合意の以前からパレスチナ問題に影響を与えていた。諸政府のレベルでアラブ体制の中心問題としてあり、民衆にとっては、民族と宗教次元において単に民族問題であった。しかし、それは、アラブ、イスラムにとって特別なものでなくなった。なぜなら、それよりも重要となった民族的諸問題があったためである。なぜなら、これらの問題は政治体制の安全保障と安定に関わるものだからであり、ほとんどは、抑圧的で、権威的で、反民主的政権であり、変革のかぜから自らを保とうとするものであるからだ。

 すなわち、この後退のあと、とくに、アメリカがエルサレムイスラエルの首都と認めて以降、早いペースですすんだユダヤ化からエルサレムを防衛することは、原則の中心の問題である。ところがそれが紛争の主要な問題から滑り落ちた、宗教的にも、この聖地の特性を変えることを決定的、効果的に阻止することができるものを見つけることができない。エルサレムでは、継続的な家の破壊、その家族の追放、シオニスト西エルサレムと東エルサレムの入植地をリンクする政策、プロジェクトが進められている。

シオニストの側は、アラブーシオニスト紛争への解決のユダヤ人の語りが、確認され、マーケッティングされ、40カ国以上の首脳と高官の国際的な集まりが、エルサレムで、ホロコーストを記念するために現在開催されている。そして、国際的に注目を集めている国際シオニストの運動のメディア宣伝によって、満たされているいわゆるテロリズム問題である。それに対して、シオニストテロリズムは、人間、石、樹木に影響し、同様にあるアクサモスクで行われている毎日の礼拝者への攻撃として現れているが、 誰もそれに十分に注意を向けない。そして、それは、罪もない何百万の人々が殺された戦争を拡大させたグローバル資本主義体制による政治的欺瞞による恐ろしい政治的実践である。
この欺瞞的な国際世論は、エルサレムの将来へのアメリカの世紀の取引の条項のひとつで、マーケッティングの枠の中に登場するだろう。ワシントンでのアメリカ・イスラエルの首脳会議が開催されることのニュースが流れている。トランプ大統領の招待で、ネタニヤフとガンツが参加する。同様に、クシュナーが地域の諸国をアメリカ・イスラエルのセツルメントの発表のアレンジを仕上げるために訪問する。

アラブの公式体制においては、そのいくつかは、エジプト、ヨルダンのようにシオニストと和平協定を結んでいる。また、アラブ湾岸諸国のように正常化を行い、これらの諸国には、エルサレムをひとつにするエルサレムユダヤ化から防衛するために、カタールの利益を犠牲にすることは不可能である。シオニストには統一首都を、アラブ・イスラム諸国の残りは、西洋資本主義大国への依存による政治的経済的利益が、解決の見えないエルサレムについて長期的な闘争にかかわるよりも重要である。したがって、このような現象はおどろくに値しない。アラブ・イスラム世界は、死んでいる。とくに、地域の大国は、そうであり、それらのいくつかは、シオニストとの政治的、安全保障的関係をもっている。トルコのように。決定的な立場をとらず、ユダヤ化を止めることもなく、シオニストには痛くもかゆくもない非難の声明を出してお茶を濁している。、

 
 
 

オリーブの会 はじめまして

オリーブは、古代からのパレスチナの主要な農産物のひとつであり、オリーブの枝は、平和の象徴とされてきました。私たちは、さまざまな経緯からパレスチナの人々の闘いに共感し、連帯してきた経緯を持つ個人のあつまりです。政治的な連帯にとどまらない、民衆の連帯を実現したいと願っています。とりわけ、農業者の連帯など、生産活動にかかわる人々の連帯共同を組織、グローバリズム中で解体されていっている日本の農業の再生とイスラエルの占領によってその農地を破壊されながらも、イスラエルに対して抵抗し、農業生産を守ろうと闘っているパレスチナの人々のとの連帯共同をつくりだしていくことを願っています。昨年その端緒として、西岸に3名をオリーブ収穫の援農に送り出しました。このような連帯活動を継続し、発展させていきたいと思っています。このような活動がグローバル資本主義に抗する闘いの一部となることを願っています。

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ビリン村の抗議行動